子のテストの答案を見て怒らないでください。
成績表を見て叱らないでください。
成績が悪いから怒るというケースでは、成績が悪いというのは親がそう思っているだけで、子は精一杯頑張って満足しているかもしれません。
逆に、テストの点数が95点の時は褒めますか、叱りますか?
もし、褒めたとしても、子は100点を逃したと満足していないかもしれません。
従って、親の基準で褒めたり叱ったりすることは、子のきもちを汲み取っていないかもしれません。
「なんだ!この点数は」と叱ると、「私より点数が悪い人がまだいる」と言い返す子がいますが、そんなことを言われると腹が立ちますよね。
「他人は他人よ」
それと同様に「私は中学生の時に、こんな点数を取ったことはない」とか「お兄さんは良くできたのに」と他人と比べる叱り方では、子は腹が立ちます。
「お母さんと私は違う」
従って、他の人と比べて叱ることは逆効果となります。
結果は今後のために活かすものです。
テストの結果については子に聞いてみてください。
「どう思った」と。
親「どう思った」
子「問題量が多くて、最後まで終わらなかった。最後の方に出来る問題があったのに失敗した」
親「今度はどうしようと思う」
子「テストを始める時に問題を全部見て、出来るところから始めようと思う」
親「わかった。今度はそうするのね。そしてどうなったか聞かせてね」
問題意識がある子は、自分でどうして上手くいかなかったかに気づいていて、次はどうすればいいか解っているものです。
成績が悪くても親は叱らず、子の話を聞き、考えを受け止めて、自分で決めた事を実行するよう背中を押してあげれば良いのです。「あなたなら出来るよ」と。
2024年12月20日
2023年07月21日
子を「かわいそう」と思っていませんか
我が子を「かわいそう」と思っていませんか。
実際には口に出してはいなくとも心の中で「かわいそう」と思っている自分がいませんか。
「体が弱くてかわいそう」、「算数が苦手でかわいそう」、「さか上がりができなくてかわいそう」、「友達ができなくてかわいそう」、「友達と話ができなくてかわいそう」、「授業中、発言できなくてかわいそう」、「先生に質問できなくてかわいそう」・・・「体が小さくてかわいそう」、「体か大きくてかわいそう」、「一人っ子でかわいそう」、「末っ子でかわいそう」、「長女(長男)でかわいそう」・・・きりがありません。
「かわいそう」は憐みの言葉ですから、「かわいそう」と思うということは子を憐れんでいることになります。
そうなると、「私ができることはやってあげよう」という気持ちになります。
それではできることは何かというと・・・
それは、手取り足取り世話をすることでしょうか?
決して困らないように先回りして手助けすることでしょうか?
もちろん世の中に手助けが必要な方が沢山いることは確かです。
しかし、手助けが必要ないのに、過剰に親が手助けをしているケースも少なくありません。
子はいつか、親から離れて独り立ちしなければなりません。
その時のため、失敗しても大丈夫な子供のうちに、自分で考え、自分で決めて、自分で行動させることが大切です。
そして、結果を受け止めて先に進んでいく強さを身につけなければ、親がいなくなったときに前に進めなくなります。
親は子供がレールを踏み外すことが怖くてなりません。
しかし、遠い未来を考えると、目の前のレールを踏み外す勇気も必要です。
親は子供に自分を映し自分の夢を託すこともあるでしょう。
しかし、親は子とは別の人格であり、別の人間であることを忘れてはいけません。
子が叶えるべきは、親の夢ですか、自分の夢ですか?
「かわいそう」と憐れむのではなく、「ひとりで出来る」と信じてあげましょう。
親が自分の子を信じられなければ、誰がその子をも信じるのですか。
我ができることは、子を信じ黙って見守ることなのです。
実際には口に出してはいなくとも心の中で「かわいそう」と思っている自分がいませんか。
「体が弱くてかわいそう」、「算数が苦手でかわいそう」、「さか上がりができなくてかわいそう」、「友達ができなくてかわいそう」、「友達と話ができなくてかわいそう」、「授業中、発言できなくてかわいそう」、「先生に質問できなくてかわいそう」・・・「体が小さくてかわいそう」、「体か大きくてかわいそう」、「一人っ子でかわいそう」、「末っ子でかわいそう」、「長女(長男)でかわいそう」・・・きりがありません。
「かわいそう」は憐みの言葉ですから、「かわいそう」と思うということは子を憐れんでいることになります。
そうなると、「私ができることはやってあげよう」という気持ちになります。
それではできることは何かというと・・・
それは、手取り足取り世話をすることでしょうか?
決して困らないように先回りして手助けすることでしょうか?
もちろん世の中に手助けが必要な方が沢山いることは確かです。
しかし、手助けが必要ないのに、過剰に親が手助けをしているケースも少なくありません。
子はいつか、親から離れて独り立ちしなければなりません。
その時のため、失敗しても大丈夫な子供のうちに、自分で考え、自分で決めて、自分で行動させることが大切です。
そして、結果を受け止めて先に進んでいく強さを身につけなければ、親がいなくなったときに前に進めなくなります。
親は子供がレールを踏み外すことが怖くてなりません。
しかし、遠い未来を考えると、目の前のレールを踏み外す勇気も必要です。
親は子供に自分を映し自分の夢を託すこともあるでしょう。
しかし、親は子とは別の人格であり、別の人間であることを忘れてはいけません。
子が叶えるべきは、親の夢ですか、自分の夢ですか?
「かわいそう」と憐れむのではなく、「ひとりで出来る」と信じてあげましょう。
親が自分の子を信じられなければ、誰がその子をも信じるのですか。
我ができることは、子を信じ黙って見守ることなのです。
2021年10月08日
子は親を見て成長してしまう
自転車の後ろに子供を乗せたお父さんが、赤信号を渡っていくのを見て、「あっ、やっちゃった」と私は思うのです。
人それぞれ価値観は異なるので、「赤信号でも車が来なければ渡っても危険ではないから構わない」と思っているのかもしれませんが、やっぱり規則は守るしかありません。(規則を守るのは改善するため)
子は親を見て育ちます。
親を見て子は人格形成をしていきます。
特に小学生の高学年になってくると、周りを意識することが強くなり他者意識が生まれてきます。客観的に物事を捉えるようになってきて、自分の価値観も形成されていくようになります。
赤信号を渡る行為が、子の中で車が来なければ渡って良いが当たり前となることは、自己中心的な考えをもつことにもつながります。
子と一緒にお出かけをする時。約束(予約)の時間にいつも遅れていると、子は決められた時間に遅れることが当たり前となっていきます。
決められた時間に必ず間に合うようにしている親の子は、時間前にそこに行くことが当たり前になります。
「お母さん、時間過ぎてるよ」
「大丈夫、2,3分なら待ってくれるから」という会話が有ったら、すごく先々怖いです。
確かに、数分遅れたとしても大概のことは、大きな問題とはなりませんが、本当に遅れてはいけない時もありますし、遅れることで表立った問題は無いとしても、相手の気持ちを考えると大きな問題です。
忘れ物が多い子は、原因が2つ考えられます。
1つは、親も忘れ物が多い。
事前に準備をしていなかったり、席を立った後にもう一度忘れ物が無いか確認していなかったりなど、それらを見ている子は自分もそうします。
親が、自分でお手本を見せていると、子も当たり前のように真似わします。
2つ目は、親が子の忘れ物をしないように手助けをするケースです。
子が忘れ物の無いように親が準備をしてあげたり、忘れ物をチェックしたりすると、自分で忘れないようにする習慣が身につきません。
忘れ物に気を付けなくても親が準備をしてくれたり、忘れ物をしても親が持ってきてくれたりするからです。
親は子に自分のやっていることを示せばよいのです。
子は親のやっていることを見て、それが当たり前と思うようになります。
普段の生活の中で、当たり前のレベルを上げることが子にとって重要です。

